辞世の句に秘められた思いとは


辞世の句に秘められた思いとは 辞世の句に秘められた思いとは
「辞世」とはこの世に別れを告げることです。そのことから、この世の去り際に詠んだ句を「辞世の句」といわれています。
辞世の句は、中世以降において流行し、漢詩・偈・和歌・俳句などの形式で詠まれました。

所謂、死を目前に詠まれたものですが、どのような心持であったのでしょうか。
数ある辞世の句のなかから、戦国時代から安土桃山時代にかけて詠まれた句を、時代背景や生き様などを思い描きながら紹介していきます。

戦国時代から安土桃山時代の辞世の句


戦国時代から安土桃山時代の辞世の句 戦国時代から安土桃山時代の辞世の句

【織田信長】

人間五十年 天下のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり、一度生を得て 滅せぬものの あるべきか、これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ


「人の一生とは、50歳かそこらだ。
天上界の膨大な時間に比べたら、夢や幻のように儚いものである。生を受けたものであれば、いつかは滅びるものだ。」

織田信長:戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。天正10年6月2日、全国統一の業半ばで重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。

【豊臣秀吉】

露と落ち 露に消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢


「露のように生まれ、露のように死んでいく、私の人生であった。すべてのことがまるで夢の中で夢をみているかのようだ。」

豊臣秀吉:戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人。織田家に仕えていたが信長の死後、政権を握り制圧的に天下統一を目指した。慶長3年、病に伏しそのまま病状が悪化し死去。

【徳川家康】

嬉しやと 再びさめて ひとねむり 浮き世の夢は 暁の空


「これが最後かと目を閉じたが、嬉しいことにまた目が覚めた。この世で見る夢は夜明けの暁の空のようだ。さて、もう一眠りするとしようか。」

先にゆき 後に残るも 同じ事 連れて行かぬを 別れとぞ思ふ


「自分は先にこの世を去るが、お前達も後々死ぬ事になる。だが私はお前達と共に亡くなろうとは思わない。誰も殉死などするな。ここが別れだと思ってくれ。」

徳川家康:戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。禁中並公家諸法度17条を制定し、朝幕関係を規定。諸大名統制のために武家諸法度・一国一城令を制定し、徳川氏による264年に及ぶ天下統一の礎を築いた。元和2年、病により鷹狩に出た先で倒れ、およそ3ヶ月後に75歳で病死する。

【明智光秀】

順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元


「たとえ信長を討つとも、順逆に問われるいわれはない。

信長も自分も等しく武門である。武門の上に仰ぐのは帝のほかにない。
その大道は我が心源にあることを、知るものはやがて知るだろう。

とはいえ我が生涯55年の間ずっと見てきた夢も醒めてみれば世俗の毀誉褒貶(きよほうへん:ほめたりけなしたりすること)に洩れるものではなかった。
しかし、その毀誉褒貶をなす者もまたここに一元に帰す。」

心知らぬ人は何とも言わば謂え 身をも惜しまじ名をも惜しまじ


「私の思いを知る者はいないのだから、誰に何と言われようと構いはしない。命も、名声も惜しみはしない。」

明智光秀:織田氏の重臣であり、主君・織田信長に忠実に従い、天下統一事業に貢献した。本能寺の変にて織田信長襲撃後、竹槍で刺されて深手を負い自害。

【上杉謙信】

四十九年一睡夢 一期栄華一盃酒


「私の49年の人生は眠っている間に見た夢のように儚いものだった。この世の栄華も一杯の酒のようなものに過ぎない。」

上杉謙信:戦国時代に越後国(現在の新潟県)などを支配した大名。大変酒好きだったこともあり、脳溢血により病死。

【大内義隆】

討つ者も 討たるる者も 諸ともに 如露亦如電 応作如是観


「私を討とうとする者も、討たれる私も同じだ。一生は短く儚い露や雷のようなものなのだ。」

大内義隆:戦国時代の武将、守護大名・戦国大名。家臣の陶隆房に謀反を起こされ、義隆と一族は自害。

 

【陶晴賢】

何を惜しみ 何を恨まむ もとよりも このありさまの 定まれる身に


「こうして敗れて死ぬことは生まれた時から、決まっていたことだ。今さら悔やむことも、恨むことも、何も無い。」

陶晴賢:戦国時代の武将。大内氏の家臣。厳島の戦いで奇襲攻撃によって本陣を襲撃されて敗れてしまう。毛利氏に味方する村上水軍によって大内水軍が敗れて退路も断たれてしまい、逃走途中で自害。享年35。

【足利義輝】

五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで


「この五月雨は露なのか、それとも私の悔し涙なのか。ホトトギスよ、私が死んだあと、どうか私の名を天高く広めておくれ。」
(不如帰:ホトトギス…死出の田長(たおさ)と言われ、冥土に通う鳥とされていた)

足利義輝:室町幕府第13代征夷大将軍。天文15年将軍となるが三好長慶としばしば対立し、京都に亡命。将軍権威の回復につとめたが、松永久秀に襲撃され殺害(自害したともあり)。享年30。

【毛利元就】

友を得て なほぞうれしき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は


「先だった友が迎えに来たようだ。今日の桜は昨日見たときより色香が際立っている。」

毛利元就:戦国時代の武将・大名。毛利氏の第12代当主。10カ国120万石を支配た中国地方の覇者。「戦国最高の知将」「稀代の策略家」とも評された。享年74、食道がん・老衰のため死去。

【別所長治】

今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命に代はる 我が身と思へば


「自分の命に代えて、長年親しんできた多くの兵士・領民の命が救われると思えば何の恨みもない。」

別所長治:戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。豊臣秀吉による「三木城の干し殺し」により、別所長治が籠城していた城内は餓死状態に追い込まれ、自身と妻子兄弟と共に自害することにより、城兵やともに城にこもっていた一般市民の助命をさせた。享年23。

【清水宗治】

浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して


「浮世を離れ今こそ死後の世界に行くぞ。武士としての名を高め、高松の地に生えた色あせない苔のように永く忠義の名を残して。」

清水宗治:戦国時代の武将。統一政策そ進める織田信長に対抗し、主君・毛利輝元に忠義を示し籠城したが、水攻めにあった城は落城寸前に追い込まれる。籠城の最中に本能寺の変で信長が死去したが、それを伏せて秀吉が清水宗治の命を条件に城兵の助命を呼び掛けた。清水宗治は信長の死を知らぬまま兄弟と共に自害した。享年46。

【伊達政宗】

曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く


「自分の人生は、暗闇の中を曇りのない月の光で照らして突き進むような一生であった。」

伊達政宗:出羽国と陸奥国の戦国大名。仙台藩の初代藩主。3代将軍徳川家光の頃まで使え、高齢になり体調不良になっても江戸参府を欠かさず忠勤に励んだ。享年70にして病状悪化により死去。

【浅野長矩(内匠頭 たくみのかみ)】

風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん


「風に吹かれ散っていく花も春を名残惜しいと思うが、それよりもなお急いて散ろうとする私の春の心残りはどうすればいい」

浅野長矩:播磨赤穂藩の第3代藩主。官位は従五位下・内匠頭。元禄14年3月11日勅使供応を幕府より仰せつけられ、吉良義央(上野介)に接待の教示を受けたが、贈り物の不十分であったと因縁を付けられ吉良義央に不親切にされた。それを遺恨に元禄14年3月14日江戸城・松之大廊下で吉良義央との刃傷沙汰におよび、即日切腹に処せられた。藩は取りつぶされ、赤穂事件の原因となった。

【大石良雄(内蔵助 くらのすけ)】

あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし


「何と楽しいことか。念願を果たし思い残すことなく死んでゆくというのは。月に雲がかかっていないように晴れ晴れとした心地である。」

大石良雄:江戸時代前期の武士。播磨国赤穂藩の筆頭家老。元禄15年12月14日、主君・浅野長矩がうけた屈辱を晴らしに赤穂四十七士を率いて吉良邸に討ち入り、吉良上野介の首を取り仇を討った。(赤穂事件)元禄16年2月4日幕命により切腹する。

辞世の句に秘めらたこと


辞世の句に秘めらたこと 辞世の句に秘めらたこと
いつ命を落とすかわからない戦国の時代では、常に浮世への別れを覚悟していたことでしょう。そんな世の中であったからこそ辞世の句は、自分の死を受け入れて詠まれたものであったことだと思われます。
しかし、辞世の句は自分の身を思い嘆いているものではないことがわかります。

自分自身の人生は夢幻のように客観的に見ていて、本心はむしろ、自分の死後のこの世の心配、親身に関わった残された者への危惧、主君への忠義など自分自身以外のことに思いが馳せられているように感じます。

なぜ、こんなにも割り切ることができたのでしょう?

そこには、日本人本来のものの考えかたである「大和魂」「武士道」が精神に刻まれているからではないでしょうか。

「大和魂」について千葉工業大学の歴史講義のなかでは以下のような定義があります。
”日本民族固有(のものと考えられていた)勇敢で、潔く、特に主君・天皇に対して忠義な気性・精神性・心ばえ。”

■参照:大和魂|ウィキペディア

また、「武士道」については、佐賀藩士の武士であった山本常朝(やまもと つねとも)が残した言葉が有名です。

”命か忠義かを選べと問われたなら、自分の命など微塵も惜しくはない”

”武士の心得として最も重要なものは何か?自分の成し遂げたいもののために、一分一秒、魂を賭してそれに向き合うこと”

”何の準備もなく突然の暴風雨に曝されたとしても、慌てふためいたり、逃げ隠れるようなことがあってはならない。雨風に心を乱さず、それを受け入れ我が道を行け”

”人の一生など、まばたきひとつで消えゆく蒸気のようなもの。自らの楽しみを見つけ人生を費やすことだ”

山本常朝の名言格言はアメリカにまで知れ渡っています。

■参照:「武士の心得」300年前に生きたサムライ15の名言|TABI LABO

我が道を信じ、忠義を重んじて、守るべきもののために勇敢で潔く、一日一日を懸命に恥じることのない人生を生きていたからこそ辞世の句に清々しささえ感じるのではないでしょうか。

まとめ


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平和な時代に生まれた現代人にとって、「大和魂」「武士道」といった思いは薄れていたのではないでしょうか。

しかし、2020年に発生した新型コロナウイルスにより、自分たちの生活や命を脅かされる日常となりました。いつ落ち着くか先が見えない世の中に直面しています。世界中の人々が困難に陥っているこの様なときだからこそ、自分の身だけを守り心配するような生き方は侘しいですよね。

辞世の句を残した武将・武士たちのように、状況を受け入れて大切な人の為、世の中のために、自分が今できることをやり抜く強さをもって生き抜けたら素晴らしいですね。

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